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「自分で決めた選択肢を正解にしていく」1/2

ACP学生委員会では本邦の医学生のキャリアの選択肢を広げることと、自分の将来に対して勇気を持ってもらうことを目的として、国内外で

活躍されている医師にインタビュー企画を実施しています。

今回は第4弾として、慶應義塾大学医学部医学教育統括センターの百武美沙(ひゃくたけ みさ)先生にお話を伺いました。

本記事は前後編に分かれており、この記事では前編として百武先生のこれまでのご経歴についてお伺いしました。

百武先生の後編の記事はこちら→

百武美沙先生 

慶應義塾大学医学部医学教育統括センター 助教

 

慶應義塾大学医学部を卒業後、聖路加国際病院での研修を経て、米国ニューヨーク州にて米国内科専門医を取得、同州マウントサイナイ医科大学病院にて老年内科・緩和ケア科の臨床フェローシップを2021年6月末に終了し帰国し、現職に就任。

※老年内科とは、65 歳以上の患者さんを総合的に診療する科のこと。健康増進、病態のマネジメントだけでなく、エンドオブライフケアまで幅広い診療活動を行っている。

​目次

​※目次をクリックすると該当記事に直接移動します

1, 医学部受験から初期研修まで

 

はじめに、どうして今回このインタビューを受けてくださったのか教えてください。

 

私自身、今は医師9年目でキャリアの中途半端なところにいると思っています。学生時代から、教授など既にキャリアが成熟しきった先生方にキャリアのお話を聞くことはありましたが、今の自分とその教授の間の過程が想像できないなと感じていました。

若手から中堅の先生は悩んだり苦しんだりする場面も多いと思いますが、忙しさのあまり、その姿を後輩にシェアすることってあまりないと思います。

みんな悩みながら、良く分からないなあと思いながら選択をしているんだよということをお伝えできればと思い、今回のインタビューをお受けしました。

私も発展途上なので、上の先生方より近い立場で学生さんたちに伝えられることもあると思います。

 

 

 

ありがとうございます。

では早速、先生のこれまでのご経歴からお伺いします。

医学部受験について考え始めたのはいつごろですか?

 

医学部進学については高校時代にとても悩みました。慶應大学の附属高校に通っていたので、大学は決まっていたのですが、学部については法学部や環境情報学部なども考えていました。

人の役に立てる仕事をしたいと思って色々な方に相談していたところ、みなさんに「医学部が一番向いているんじゃない?」とおすすめしてもらったり、「女性はライフプランを考えると資格がある仕事がいい」とアドバイスをもらいました。

国家資格が必要な職業として弁護士と医師を考えていたのですが、医師は常に「患者さんのために」という正義を持てる一方で、弁護士はもしかすると自分が正義だと思わない人の弁護をしなければいけないかもと思い、医師になることにしました。

小さい頃から宇宙飛行士という仕事にも憧れがあったので理系を卒業したいという思いもあり、いろんなことを足し合わせて医学部に行きました。

 

 

 

学生時代はどのように過ごされていましたか?

 

本当にいろいろなことに挑戦した6年間でした。水泳部に所属していて、当時東医体を7連覇していたので、練習も多くて1年生から4年生まではひたすら泳いでいました。

部活動の経験やできた仲間は本当に素晴らしかったと思いますが、部活に参加したことでできなかったことも多くあるので、日本全体の医学部にある、医学生は運動部に所属した方がいい、という風潮はあまり良くないなと個人的には感じています。

IFMSAという学生団体にも所属して活動していました。

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学生時代からアメリカでのキャリアを考えていたのですか?

 

元々国際保健や公衆衛生に興味を持っていました。特に途上国支援に興味があり、学生のうちに15カ国ほど訪問しました。

5年生の終わりにはタンザニアの離島で3週間ほど実習し、その体験が本当にeye openingでした。その病院には点滴も薬もなくて、患者さんがすごく簡単に亡くなってしまうんです。小さな子供が生まれてすぐに亡くなったり、人の命がこんなに簡単に失われてしまっていいのかと思いました。HIVもマラリアも蔓延していましたが、現地の人はすごく明るく生き生きと暮らしていました。彼らは私たち先進国の人間に「助けてほしい」とは思っていなくて、自分達が発展途上国の人たちを助けてあげたいと思うはおこがましいのではないかと思いました。

その後日本に帰国して、ぎゅうぎゅう詰めの満員電車で携帯をみながらうつむいている日本人を見て、「健康ってなんだろう」と考えさせられました。日本社会の中で暮らしていると、死ぬことってすごく遠いことのような気がするけれど、本当は生きることも死ぬことも日常の中にあるんですよね。タンザニアと日本での経験を経て、死を生の一部として捉えている人たちの精神的健康さに気付かされました。

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そのご経験から緩和ケアや老年内科に興味を持ったんですね。

 

初期研修でも、日々の業務の中で、「この国ではどうしてうまく最期を迎えられないんだろう」というモヤモヤを感じました。患者さんの最期をうまくサポートできなかったという無力感や苦手意識もあり、「人が最期までうまく生きられる社会」を作っていきたいと思うようになりました。

緩和ケアや老年内科は日本ではまだ体系化して教えられていない分野なので、アメリカで学びたいと思いました。

 

 

 

初期研修医時代についてもう少し教えてください。

 

実は、渡米のことは全く計画せずに、「海外から帰ってきた先生たちと働きたい」「英語を使いたい」「全国から集まるモチベーションの高い同期と働きたい」と思って聖路加国際病院での研修を始めました。

当時付き合っていたパートナーと結婚しようと思っていたので、そこが優先順位1位で、渡米やキャリアについては彼がイエスというかどうかで決めようと思っていました。

 

 

 

百武先生は、アメリカに行く前提でプライベートのことも考えていると思っていたので、驚きました。

 

自分が一生において何を選ぶか・選ばないかの優先順位は人によって様々だと思いますが、私にとって疑う余地もなく「この人は人生のパートナーだ」と思える人がいたら、死ぬまでは一緒にいようと思ったので、それを第一優先で考えています。

​続きは後編となります。後編の記事はこちらから→

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