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【後編】"人生に意味を与えるのは、narrative(物語)である"

青柳 有紀先生
(ダニーデン病院 内科部長)

これは後編です。前編は下記よりアクセスできます。

​【キャリアと家族について】

Q. これまでに色々な地域で働かれていますが、家族はついてきてくれるのですか?

 

 非常に重要な質問ですよね。私の妻は元々帰国子女だったため、海外で暮らすことには抵抗がありませんでした。どこかに行く前に色々なことを心配してもしょうがないと思うので、基本的に私も妻もまずは行ってみようという考えかたです。そうは言っても家族(妻と娘二人)はルワンダへ行く際には少し不安だったようですが、実際は家族の方がルワンダの暮らしを満喫していました。

ルワンダ軍事病院での診療指導風景。結核患者は隔離して管理するが陰圧空調設備は存在しない。

ルワンダ軍事病院の研修医たちと。.jpeg

ルワンダ軍事病院の研修医たちと。

Q. 人生の中で、家族やキャリア、趣味などどのような優先順位で選択されてきていますか?

 

  私は趣味も仕事も家族も全て充実していたいと考えています。自分の仕事に意義が感じられないとやっていけないですし、家に帰れば趣味の料理も作りたいです。釣りも大好きなので、休養の時間が確保されていないと辛いです。家族との生活も大切です。ルワンダで2年間働いた後、私と妻で、どこの国で娘たちを育てていきたいか、何度も議論しました。日本で生活していた頃、私の名前が女性と間違われることも多く、就活の時に男女での扱われ方の信じ難い格差を感じました。また、とても優秀な大学同期の女性の就職活動の結果を見て強い違和感を感じることがありました。そのような実体験を含めて日本は女性の能力が適切に評価されない社会であると感じ、娘たちを育てる環境として、日本に戻ることは考えられませんでした。医療と教育の平等が実現している社会、環境などに配慮した社会づくり、女性の社会参画が進んでいる国など、私たちの理想とする国がどこかと考えた時に、一番信頼できるパートナーである妻と話して、ニュージーランドが現時点において最も近いという結論になりました。

ニュージーランドで趣味の釣りを楽しむ様子。.jpeg

ニュージーランドで趣味の釣りを楽しむ様子。

回診後の研修医たちとのコーヒーブレイク(ファンガレイ病院にて).jpeg

回診後の研修医たちとのコーヒーブレイク

(ファンガレイ病院にて)

​【医療者の視点から見た日本との違い】

Q. 医療者として働く上で、日本とアメリカ、ニュージーランドの違いを教えてください。

 

 私は日本で1年と少ししか働いていないのですが、無駄が多く、激務で、持続可能性が低いような気がします。また、どの上級医と働くかで受けられる教育の質が変わってしまう印象です。また、医療従事者に関してもほとんど日本人が圧倒的に多く均質な環境ですね。

 

 アメリカは色々な国から来ている人がいてdiversityがあります。また、一定の質を保った医師を養成することを目指した確固とした枠組みがあるので、一定の質が担保されない研修プログラムはすぐに閉鎖されますし、研修医も辞めさせられたり、別の意味で非常に厳しい環境です。

 

 ニュージーランドは日本とアメリカの中間のような国で、研修医の権利が確立されています。組合があって、1年間に4週間の有給を取らなければならない事や夜勤は決められた期間の間での上限もありますし、権利が確保されています。ただ、イギリスもそうですが、専門医を取るまでに8年間とアメリカと比較して少し長い時間がかかります。また、6ヶ月ごとに研修先を選んでいくので、研修途中で一旦6ヶ月休んで長期の旅行するような人もいます。

Q. ニュージーランドは医師として働きやすい国ですか?

 

 次はアメリカとの比較になりますが、ニュージーランドで初めて働いた病院のERのスタッフは半分くらいアメリカ人でした。彼らはアメリカの医療システムの持続性への疑問や訴訟のリスクなどにストレスを感じ、ニュージーランドへ移住してきたようでした。

 

 ニュージーランドでは勤務医の組合があって、保健省と交渉して労働条件などを改善してくれます。有給は1年間に6週間は必ず取らないといけないし、自分だけでなく家族が病気になった時でも休める権利があり、給与も保証されています。医療訴訟の心配もなく、いわゆる防衛的な医療の必要がありません。また、医者は一生勉強する必要があり、ACPのMKSAPを解いたりや学会に参加したりなど出費が必要ですが、教育費として13,000NZドル(日本円で100万円ほど)を旅費や教材費などに使えます。このように働くための当たり前の権利が保証されています。日本と一番大きな違いとしては女性の権利が平等に保障されているということでしょうか。日本では医療従事者、特に研修医が働きながら子供を育てることがかなり難しいですが、こちらでは普通のことです。

ベス・イスラエル・メディカル・センターでの研修風景。.jpeg

ベス・イスラエル・メディカル・センターでの研修風景。

ダニーデン 病院での研修医との回診風景 (1).jpeg

ダニーデン 病院での研修医との回診風景

Q. ニュージーランドは医師として働きやすい国ですか?

 

 次はアメリカとの比較になりますが、ニュージーランドで初めて働いた病院のERのスタッフは半分くらいアメリカ人でした。彼らはアメリカの医療システムの持続性への疑問や訴訟のリスクなどにストレスを感じ、ニュージーランドへ移住してきたようでした。

 

 ニュージーランドでは勤務医の組合があって、保健省と交渉して労働条件などを改善してくれます。有給は1年間に6週間は必ず取らないといけないし、自分だけでなく家族が病気になった時でも休める権利があり、給与も保証されています。医療訴訟の心配もなく、いわゆる防衛的な医療の必要がありません。また、医者は一生勉強する必要があり、ACPのMKSAPを解いたりや学会に参加したりなど出費が必要ですが、、教育費として13,000NZドル(日本円で100万円ほど)を旅費や教材費などに使えます。このように働くための当たり前の権利が保証されています。日本と一番大きな違いとしては女性の権利が平等に保障されているということでしょうか。日本では医療従事者、特に研修医が働きながら子供を育てることがかなり難しいですが、こちらでは普通のことです。

Q. これまでに人種や言葉、国籍に壁を感じたことはありますか?

 

 レジデントやフェローの時に、minorityであることでの不利益を感じたことはなかったです。また、海外では日本人の感覚で真面目に働いていれば認められることが多いです。また、私が医師としてアメリカで受けたトレーニングも素晴らしいものであったと感じます。ただ、アテンディングやコンサルタントとしてスタッフになり、段々と責任のある仕事を任されるようになるときに、自分がminorityであることがハンデになっているとしか考えられないことをいくつか経験しました。それは自分を直接知っている人からは生じないのですが、自分を直接知らない人が関与する場合に起きます。

 

 そんな時、諦めるという選択もあるし、徹底的に闘うという選択肢もあります。しかし、minorityの人々に現在保障されている権利は、過去にそのために闘ってくれた先人のおかげであることを意識しなくてはなりません。ただその恩恵に乗っかるだけでなく、自分も不合理な扱いを受けた時は、権利を主張する必要があると感じています。そのようなタフさも、個人として海外に出て、何の後ろ盾もなく活動していく中で、必要になってきます。

 

 研修を終えた後、スタッフとしてキャリアを歩むときに、minorityであるために不利な場面にどう向き合っていくかということが問題になってきます。Academiaで業績が認められて昇進する人はいても、administrationの分野でリーダーシップを発揮している日本人は少ないと思います。これからの日本人に求められている能力であり、自分自身の課題でもあると感じています。日本を出て、新しい世界でどうリーダーシップを発揮するかがこれからの日本人の課題だと思います。

オタゴ大学医学部(左)とダニーデン 病院(右.jpeg

Q. 今後、何か考えられているプランはありますか?

 

 今年からclinical directorになったため、「どのように内科をより良くしていくか?」や「どのように同僚たちとより良く協働していくか?」、「地域の人々の健康にどう貢献するか?」という点にまず取り組んでいきたいと思っています。ニュージーランドの医療は基本的に無料で、救急などを含め二次、三次医療機関での診療は無料です。誰に対しても分け隔てなく、質の高い医療を低コストで提供することが求められています。  また、現在勤務する病院は医学部(6)が隣接しており、医学生への教育に関わる機会が日常的にあります。しかし、今もなお世界には医学部がない国も多くあります。ニュージーランド周辺の南太平洋諸国では医師が不足しているため、これらの地域に自分のフィールドを広げて、診療や医学教育などで貢献していきたいと考えています。

オタゴ大学医学部(左)とダニーデン 病院(右)

​【医学生へ向けて】

Q. 医学生の頃を振り返って、やっておいて良かった事、やっておけば良かった事はありますか。

 

  日本の場合、国試はほとんどの場合で合格できるので、自由な時間はあると思います。自分の場合、USMLEの勉強をすることで能力的にも向上することができましたし、研修医時代も非常に役立ちました。ただ、世界に出ると、先ほど話したPaul Farmer(7)のようには学生の頃から最貧国であるハイチに医療を届けるNGOを立ち上げたり、もっとスケールの大きな人がいて、社会に対して行動している人がいます。日本ではまだ難しいかもしれないですが、例えば地域での医療相談や救急車同乗などのボランティアなど、できることは多いと思います。海外でなくても、自分も学生時代に日本の身の回りで困っている人に対してもっと何かできたのではないかと感じています。

 

 

Q. チャンスをしっかりと掴むために必要なことは何だと思いますか?

 

 「思い立ったら即行動。」ですね。退路を絶って突っ込んでいく事ができるか。能力以前に、思い切って実行できるかどうかというのが大事だと思います。私自身、同じ場所にいて仕事に慣れると退屈してしまうので、より成長できる環境を求めて色々なところを移動してきました。医学部卒業以来、3年以上同じ場所にいたことがなかったのですが、現在のダニーデンに来てからはリーダーシップ•ポジションに就いたこともあって今年で5年目になります。

Q. 最後に、海外で活躍したい学生に向けてアドバイスをお願いします。

 

 情熱をどこに見つけることができるかだと思います。「海外で働いてみたい」という理由で留まらず、さらに深く自分に問いかけてみてほしいです。深く考えると自分だけにしかない答えが見つかってくるでしょう。それがその人だけのnarrative(物語)を作っていきます。人生に意味を与えるものはnarrativeで、物語というコンテキストがないと、意味も、したがって情熱も持つことができません。充実した人生を送るために、あなたの物語が何かを考えてほしいです。日本人が海外に出ると肩書きもなければ後ろ盾もありません。なぜここにあなたがいるのかという説明を求められることが多くあります。自分の物語を自分の言葉で伝えられるか。それを大事にしてほしいです。

 

(6) Otago Medical School https://www.otago.ac.nz/oms/index.html

(7)Paul Farmer, 1959年生まれ。発展途上国での医療提供活動によって世界的に著名な医師・医療人類学者。ハーヴァード医学大学院 国際保健社会医学部長などを経て2010年からKolokotrones University Professor at Harvard University。学生の頃からハイチの慈善活動に参加し、1987年、出資者や同級のジム・ヨン・キムらとともに国際保健のNPOパートナーズ・イン・ヘルス(PIH)を創立した。https://www.msz.co.jp/book/author/ha/15928/

​【編集後記】

 今回記事を執筆した轟木が大学卒業後の進路を考えていた時、青柳先生のブログを見たことが医学部編入を決意する大きなきっかけになりました。自分も感染症やグローバルヘルスに関心があり、まさにロールモデルとして考えていた先生です。特にタイトルでもある「人生に意味を与えるのは、narativeなものである。」という言葉が最も心に残りました。これまでの自分と今の自分、そして未来の自分でどのようなstoryを描き、自分の言葉で話せるかということを大事にしながら生きていきたいと感じました。また、「恵まれた環境にいる私たちだからこそそうではない人に意識を向けることで、世界はもっと良い方向になるだろう」という言葉にも青柳先生の優しさと強さを感じました。インタビューさせていただきありがとうございました。

 

大分大学医学部 轟木亮太

群馬大学医学部 富田明澄

【後編】

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