菱沼俊哉
横浜市立大学 医学部医学科 5年
ACPに参加したきっかけ
海外留学に向けて、学生の間しかできない特別な経験を積みたい。また、委員という立場を通して今までにない学びの場を創造したい。
米国内科学会(ACP)日本支部学生委員会
【経歴】
青柳 有紀先生
1996年 慶應義塾大学法学部政治学科卒業
1997年 ニューヨーク大学大学院修士課程終了
1998年 国際教育科学文化機関(ナミビア共和国及びパリ本部)
2006年 群馬大学医学部医学科卒業
2007年 ベス・イスラエル・メディカル・センター(米国ニューヨーク州)
2010年 ダートマス・ヒッチコック・メディカル・センター(米国ニューハンプシャー州)
2013年 ダートマス大学医科大学院・公衆衛生学修士課程修了
同大学院クリニカル・アシスタント・プロフェッサー (Human Resources for Health in Rwanda)
2015年 ファンガレイ病院 内科・感染症科コンサルタント(ニュージーランド)
オークランド大学医学部 Honorary Lecturer in Medicine
2022年 ダニーデン病院 内科部長(ニュージーランド)
オタゴ大学医学部 Clinical Senior Lecturer
【これまでの経歴について】
Q. 大学卒業までは日本とのことですが、どのタイミングやきっかけで海外に目を向けるようになったのですか?
大学卒業まではずっと日本で、千葉県の狭いコミュニティで育ちました。思ったことは口にしてしまうような性格だったことや、アメリカの映画や音楽に憧れて、とにかく外に出たいという思いが昔からありました。そのため、英語だけは昔から勉強していました。
Q. 法学部からニューヨーク大学大学院は留学し、UNESCOに就職されていますが、その選択に対する思いを教えてください。
元々ジャーナリストになりたいと思っていて、国際政治に興味がありました。大学で勉強をするうちに、ジャーナリズムよりメディア・コミュニケーション学に関心を持つようになりました。具体的には、人間はどのように情報を得て、現実を自分の頭で作り上げていくか。私たちがメディアの影響をどれくらい受けているのか。そもそも民主主義は自由意志を前提にしていますが、どこまで私たちは自分たちの頭で考えているか。もちろんメディアがなければ世界で起こっていることを理解できないので、どれほど私たちの認知が影響を受けているかについて深く学びたいと思うようになりました。
また、私は恵まれており、学部卒業後に両親がアメリカへ留学をさせてくれたので、ニューヨーク大学大学院でメディア・コミュニケーションを学ぶ機会を得ることができました。学部交換留学も検討したのですが、1年間卒業が遅れてしまうので、大学院で留学することを選択しました。また、修士課程は通常2年間ですが、本人の頑張り次第で1年で終えられることも決め手になりました。当時はかなり戦略的に選択していたと思います。
Q. ナミビアでHIV予防対策に関わったことで、国際医療協力を志すようになったとのことですが、どのような気持ちや想いがあったのでしょうか?
ニューヨーク大学ではメディア教育学を専攻しました。具体的には、どのように教育を通してメディア・リテラシーを向上させるかに関心を持っていました。卒後の進路を考えた時に、UNESCO(国連教育科学文化機関)がこの分野で先進的な国際会議を主催するなど力を入れていたため、JPO制度(1)を利用してUNESCO職員になりました。最初に赴任したナミビアではHIV予防対策プロジェクトを担当したのですが、当時(1998年)の成人人口の25%近くがHIV/AIDSに感染しているという現実や、医学部がナミビアにないという事を知り、大きな衝撃を受けました。その際に、自分自身が予防のための情報を広げることは多少できても、医療知識は乏しく治療などの側面に関われなかったことから、感染症に携わる医師となって、医師を育てることで貢献したいと考えるようになりました。
Q. 医学部のないナミビアで働く医師はどのようにして医師を養成していたのですか?
そもそも医師の数は少なかったはずで、医師になるためにはドイツ(旧宗主国)や南アフリカ、他のアフリカの国などへ行く必要がありました。ただ、ナミビアはアフリカ諸国の中でも貧富の格差が激しく、皮肉なことに富裕層向けの病院はありました。
Q. 医学部へ学士編入を目指した経緯を教えてください。
私はナミビアで2年間働いた後、UNESCOの本部があるパリに異動しました。しかし、パリのように安全で恵まれた環境で、自分を含め同僚たちが世界の貧困問題や教育問題を語っていることがどうしても解せなかったんです。自分の中ではそれがすごく空虚に感じられて、何のために自分はナミビアに行ったんだろうといつも考えていました。ある時、体調を崩した私がパリのアメリカン・ホスピタルを受診した時に、そこで働かれていた岡田正人先生(2)の経歴が載った医学雑誌を、先生のクリニックの待合室で読んだのです。岡田先生は日本の医学部を出てからアメリカで臨床トレーニングを受けて、アメリカの内科、膠原病科、アレルギーおよび免疫科の各専門医資格を取られていて、そのようなキャリアが可能なんだと初めて知りました。元々群馬大学が学士編入を実施していることは知っていたので、ますます医師という職業に惹かれました。岡田先生に学士編入を目指したいと相談すると「良いんじゃない、やってみればいいよ」と言っていただき、岡田先生と同じくベス・イスラエルで研修をした桑間雄一郎先生が執筆された「裸のお医者様たち」(3)という本を貸してくれました。その本は桑間先生のアメリカでの研修体験を本にしたもので、いかにアメリカの臨床トレーニングが優れているかが書いている本で、それを読んでいずれはアメリカで研修を受けたいという気持ちが強くなり、医学部の学士編入試験を受けることにしました。
Q. 5年生の時にイギリスで研修を受けていたとの記事を拝見したのですが、どのように留学されたのですか?
医学教育振興財団の英国短期留学・フェローシップ(4)に応募して留学しました。医療システムが類似したイギリスで留学したことが、のちにニュージーランドを職場として選んだ理由になっているかもしれません。
Q. 在学中にUSMLEに合格されているとのことですが、勉強の工夫があれば教えてください。
小学校から英語は勉強していましたが、主にコミュニケーションの道具として勉強していました。元々は先ほど述べたようにアメリカの文化に憧れたというのが入り口で、大学入学後は留学の準備としてTOEFLの勉強をしていました。群馬大学へ編入学するとすぐにUSMLEの勉強を始めましたが、同じ目標を持つ友人もおらず、ひたすら孤独なプロセスでした。ほとんどUSMLEの勉強ばかりしていましたが、きちんと勉強していれば国試にも対応できました。早めに始めておこうと思っていたので、Step 1(4年次)、 Step 2CS(5年次)、Step 2CK(6年次)の順で取得しました。大変ではありましたが、日本での初期研修医の時もUSMLEで学んだことはとても役立ちましたし、自信にもなりました。自分が前職を辞して医学部へ学士編入した理由が「世界で通用する感染症専門医になること」だったので、ブレることはありませんでした。USMLEの準備自体に疑問を感じることもなく、使命感を感じて勉強していました。
Q.「医療と教育は平等に人間に与えられるべきだという考えに至った(参照)」との言葉を拝見しました。具体的にどんな経験が背景にありましたか?
ナミビアでは他の国に生まれていれば当たり前のようにアクセスできる医療にアクセスできない人も多くいました。また、自分が指導医として2年間働いたルワンダのように医師の数が非常に少ない国もあります。そうした現実を目の当たりにして、自分は単に運が良かっただけだとしか思えませんでした。恵まれた環境に生まれた自分は、そうでない人に貢献する必要があると強く思っています。最近亡くなったPaul Farmer(5)というグローバルヘルスの専門家がいるのですが、彼は「私はハーヴァードで医学と文化人類学の博士号を取り、馬鹿げたぐらい恵まれた環境にいたが、一方で私がその機会を得たことで誰かの機会を奪ってしまっていた。」と話していました。私たちは医学部で教育を受ける事ができましたが、そうでない人もいて、その人たちのことを意識しないといけないと思います。恵まれた側の人間がそれを意識して行動できれば、世界はもっと良い方向に向かっていくのではないでしょうか。
(1)JPO制度:各国政府の費用負担を条件に国際機関が若手人材を受け入れる制度で、外務省では本制度を通じて、35歳以下の若手の日本人に対し,原則2年間国際機関で勤務経験を積む機会を提供しています。https://www.mofa-irc.go.jp/jpo/
(2)岡田正人先生: 聖路加国際病院 Immuno-Rheumatology Center 部長・センター長https://carenetv.carenet.com/instructor/detail.php?instructor_id=2
(3)裸のお医者様たち-名医と迷医の見分け方, https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784828409337
(4)「英国大学医学部における臨床実習のための短期留学」は、卒前臨床教育の充実向上を図るため、本財団が推薦する日本の医学生が英国の大学医学部において4週間の臨床実習を行うプログラムです。 https://www.jmef.or.jp/fellowship/
(5)Paul Farmer, 1959年生まれ。発展途上国での医療提供活動によって世界的に著名な医師・医療人類学者。ハーバード医学大学院 国際保健社会医学部長などを経て2010年からKolokotrones University Professor at Harvard University。学生の頃からハイチの慈善活動に参加し1987年、出資者や同級のジム・ヨン・キムらとともに国際保健のNPOパートナーズ・イン・ヘルス(PIH)を創立した。https://www.msz.co.jp/book/author/ha/15928/