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「卒後3年目で渡米  アレルギー分野で世界的に活躍する医師へ」

 

     ACP学生委員会キャリアインタビュー企画を担当する高橋です。

    今回は、現在NYで内科レジデントを開始されている筒井絵里香先生をお迎えし、​​​​​​先生のキャリアやその経緯、ご自身のパーソナルストーリーについてお話を伺いました。将来、世界で活躍したい皆さん方に大変参考になるお話なので、ぜひご覧ください。

 

  

     

 

 

 

 

 

目次

 

 

 

1、現在に至るまでの軌跡

 

 

ー先生のご経歴について教えてください。

 

カナダのトロントで生まれ、その後モスクワ、ベルリンを経て10歳から初期研修まで日本にいました。大学は東邦大学で、在学中に短期留学をして、やはり自分はアメリカに行きたいなと思いました。USMLEの勉強をしながら東大病院で初期研修し、医師になって3年目でアメリカに来ました。その後マウントサイナイベスイスラエル病院というNYの病院で働いています。

 

 

 

ー六年間の学生時代を振り返って、どんなことに興味がありましたか?

 

医学部に入った時は、留学や起業など、あらゆることに興味を持っていました。他業種の人と関わってみたり、厚生労働省の一泊二日のサマー

キャンプに行ったり、学生団体の運営に関わってみたりしました。留学にも興味があり、医学部入学直後にFrist Aidを買ったりしていました。

さらに、自分はこれまでの学生生活で運動部に入っていなかったので日本の体育会系文化を味わった方がいいのではと感じ、部活に入ってみたりもしました。何でも興味を持ってやってみましたが、一番興味があったのは留学ですね。

 

 

ー学生の時にやっておいてよかったなということは、ありますか?

 

やっぱり留学はよかったですね。実際に留学に行ってそこで推薦状をもらう機会にも恵まれますし、現地の先生も、やる気がある学生には学会

発表などいろんなチャンスをくれるので、現地に行くというのはすごく大切なことだと思います。直接足を運ぶことで、英語の練習にもなりますし、モチベーションにも繋がります。留学以外でも、公衆衛生の勉強会等に参加してそこで繋がった先輩にUSMLEの勉強方法を教えてもらったりしました。やっぱりちょっとでも興味を持ったことに顔を出して参加してみるのはとてもいいことかなと思います。

 

 

ー研修病院はどのように選ばれたのでしょうか?

 

一般的に、本格的にマッチングを考えるのは6年生の初めだと思います。

私はその時USMLE step1が取れていなかったので、初期研修2年のうちに勉強に集中できるところ、あと海外でのネームバリューと立地も考慮して、東大病院を選びました。

 

 

2、キャリアにおける選択について

 

 

ー先生は卒後3年で渡米されていますね。

卒業直後に渡米しようとは思われませんでしたか?

 

医学部3、4年生の時に、卒業直後の渡米を考えたこともありました。でも私は卒業までにUSMLEの受験が間に合わなかったということと、日本でも診療はできるようにしておきたいと思い、卒後三年目がベストと思いました。

 

 

ー卒後5年目や6年目での渡米、という選択肢もあったのでしょうか?

 

日本の病院である程度トレーニングしてからの渡米も、内科医として活躍するためには非常によい選択だと思います。

私の場合は、アレルギーを専門としてやりたいという希望がありますが、アレルギーと一般内科って少し違うんですよね。アレルギー分野で活躍したいならアレルギーの道に早く入った方がいいと思うんです。なので、なるべく早く渡米できて、もし今後日本に帰っても、働けるようにするには…と考えて日本で初期研修終了直後に渡米することに決めました。あとは、アメリカの内科研修で専門資格を取得すると、日本の専門医の受験資格が得られます。どちらの国で研修しても、共に3年かかるので、タイムロスが一切ないんですね。そういった部分も合わせて、一番自分の中でしっくりくる進路でした。

 

 

ー現在、NYでレジデントされているとのことですが、なぜNYを選ばれたんですか?

 

まずはNYが好きって言うのと、あとはNプログラムの存在が大きいですね。東京海上日動火災保険による医師の海外での活躍をサポートする

プログラムがあります。

日本人にとっては非常に大きなチャンスなのでそれに応募しました。

(NプログラムについてのHPはこちら→

​​​​​​​​https://www.tokio-mednet.co.jp/company/nprogram.html )

 

 

ー先生はこれまでさまざまな国で暮らしたご経験をお持ちですが、なぜアメリカを選ばれたのでしょうか?

 

アメリカの医師免許が一番世界に通用するという理由で、アメリカを選びました。

正直オーストラリアのメルボルンも大好きなのですが、オーストラリアの医師免許を取るのはそんなに簡単ではないですし、そこまで労力が変わらないのなら若い時はアメリカで過ごして、そこから四十歳五十歳になって オーストラリアのポジションがあったらそこに行けばよいかな…と考えています。アメリカの医師免許を取ったのも、日本で初期研修したのと同じく、将来的な保険という意味もありますね。

 

 

ー本当に素晴らしいご経歴をお持ちですね。今まで色々な選択をされたと思うのですが、選択に迫られた時に何を根拠にしていますか?

 

純粋にワクワクするかどうかですね。 USMLE のstep1を取るときも初期研修をしながらだったので、 本当に大変でした。実際体調を崩したり、自分は何やっているんだろうと思ったりもしました。でもアメリカに行くってすごくワクワクすることです。しっかりと将来のことを考えた上で、ワクワクすることをしています。

 

 

ー先生のご自身は、どういった性格なのでしょうか?

 

私の自己イメージは、ダンゴムシみたいな感じです。 鎧をきて丸まって、少しずつ前に進むイメージです。 でも、本当はゴリラのような感じがいいんですね。胸を張ってオラオラと進みたいです。ただ現時点で自分に十分な自信とそれに見合う実績がないからそうなっているだけで、今後はそれらが伴ってゴリラみたいに前に進んでいくのが理想です。

 

 

3、アレルギー分野に興味を持つきっかけ

 

 

ーなぜ、アレルギー分野に興味を持たれたのですか?

 

今振り返るとすっきりしているのですが、当時は迷いもたくさんあったというのを心に止めて聞いてくださいね。

 

子供の時、姉が重度の食物アレルギーでアナフィラキシーショックを起こし救急車で病院に運ばれるという経験が何度かありました。家ではピーナッツ厳禁で、自分もナッツ類を全く食べずに育ちました。10歳まで色々な国で育ったのですが、原材料表示が良くわからないし、

言葉も通じないしで、食べたいものが食べられなかったんです。それが、10歳の時に姉と一緒に専門機関で検査を受けたら私は全然アレルギーがありませんでした。私は食べるのが大好きなので、食べる時にいちいち原材料を気にしないで食べられるし、何を食べても死なない、というのが人生で一番嬉しかったんです。でも一方で姉はアレルギーが多くて、好きなように食べられず、すごく不公平だと思ったんですよ。同じように

暮らして同じ食べ物を手にしているのに、姉はそれを食べられない、みんなにとってはなんでもないものが、ある人にとってはすごく毒になってしまうというのが不思議であり不公平だなと感じていました。

 

大学は医学部以外を含めて色んな学部を受けました。どこの学部に行くか迷ってはいたのですが、医学部の入学締め切り前日に、姉が飲食店のお通しに微量に含まれていたピーナッツでアナフィラキシーショックを起こし、救急車を呼んでICU管理になったんですね。その際、命は助かりましたが、これはもう医学部に入るべき、ということかなと思って、医学部に決めました。その経験を経て医学部に入ったので、入学後も自分は

アレルギーをやるのかなと、なんとなく思っていました 。

 

ただアレルギー科って日本にはあまりないんですよね。小児科や耳鼻科など、内科の一部がアレルギーをやるという感じで、アレルギーをトータルで見られるような科ってないなと思ったので、アレルギーを専門にしている先生がたくさんいるアメリカに興味を持ちました。

 

筒井先生のご経歴  

 

  カナダ生まれ。東邦大学卒業。東京で2年間初期研修を修了後、2021年よりNYで内科レジデントを開始。

      食物アレルギーに興味を持たれています

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ー米国ではアレルギー内科はかなり認知されていますか?

 

アレルギー科は結構認知されている感じですね... general practitionerがいて、そこに行ってアレルギー科に紹介されるというのが一般的な流れです。

でも最近、日本でもtotal allergistを作ろうという動きがあるので、日本でもこれからどんどん発展してくると思います。

 

 

4、今、レジデントとして思うこと

 

ーレジデントをされていて大変だったことや、それをどう乗り越えてきたか教えてください。

 

今大変なことを経験している真っ最中だと思います.....

まず英語は大変ですよね。日本では英語も得意なほうで、発音も聞き取れないことはないと思うんですが、 やはり患者さんの言っていることが分からない時に、自分が英語を分からないせいだと思ってしまいます。もしかしたら、患者さんが本当に何を言っているのかわからない場合でも、自分の英語の分からないせいだと思っちゃうんですよね。自分はネイティブではないということは事実なので そこで負い目を感じる時もありますね。そのようなことが、毎日あるのでちょっとストレスになりますが、それと同時に、日々自分の英語が上手くなる余地があるというのは喜びでもあります。

 

あとは、卒後3年目で渡米したので、臨床経験が足りないんじゃないか 臨床能力が低いんじゃないかというところで負い目を感じます。

 

基本的に渡米してすぐは劣等感の塊みたいな感じでしたね 。学生さんが自分より上手いプレゼンをするので そういうところがすごく大変でした。でもただ逆を言えば、アメリカで育ってアメリカの医学部競争に勝ち、医者になった人たちと自分は今同じポジションにいるということです。それが認められるからこのポジションにいる訳ですよね。そのような視点に立つと、安心です。

 

あとは、プログラムのものすごくいい所としては 毎年日本人の先生が3〜4人いて ものすごく日本人の先生の評価がすごく高いんですね。

手技もうまいし、プレゼンもうまいし、でもそういう先生も一年目はすごく鬱になったとか大変だったという話を聞きます。もう2〜3年間頑張ればあの先輩と同じようになれるのかな と思うとそこは安心かなと思います。

 

 

ー日本の初期研修の業務とアメリカの業務はどのくらい違いますか?

 

日本の初期研修は、アメリカの学生がやっていることに近いです。 日本の初期研修では、回診して上級医と相談して一緒にオーダーを出して、午後は採血とか手技、コンサルを出して方針を変えたりします。

アメリカも基本は変わらないですが、ストラクチャーがしっかりしています。

例えば、レジデント1年目が朝6時から、患者さんのプレラウンドをします。その後7時に2-3年目のレジデントに結果を報告します。9時からは、attendingという指導医の先生も含めてみんなで話し合い、回診してカンファをするなど、ストラクチャーがしっかりしている印象があります。 アメリカでは上に報告して、さらにその上に報告して…という構造がしっかりしています。あとは評価社会ですね..上からも下からも

評価されます。

 

 

ー学生に向けた医学教育の違いはどうですか?どのような学生が評価されていますか?

 

とにかく積極性が大事です。日本では積極性を見せない方がいい場面があると思うんですね...例えば「今日はもう遅いからレクチャー明日にする?」と先生から言われたら基本は明日にすると思うんですよ。でもアメリカは空気を読む必要はあまりなくて、何時でも「レクチャーして欲しい」と言えます。また、最新の論文を持って「こういう論文があったけど、この患者さんでは当てはまるかな?薬はどれくらい投与しようか?」というエビデンスを出しながら議論することや治療方針にも口を出すことが、すごく大事です。

 

 

ーインターンは、結構体育会系だとおっしゃっていたのですが、それが辛いとかしんどいとか思ったことはないですか?

 

確かにアメリカの朝早く行くみたいなところは、 体育会系だなと思いますね。上下関係もしっかりしていて。でも基本午後5時には帰れるし、休みも年間2週間ずつ、計1ヶ月間最初からスケジュールに組み込まれているので体育会系というより、どちらかと言うとメリハリがちゃんとしていると言えます。 日本の体育会系とはまた違うところで、インターンも確かに辛いですけど、耐えられると思いますね。

 

 

ーこれやっていてよかったなとか印象深いエピソードとかってあったりしますか?

 

学生時代の実習留学はやってよかったですね..システムがよくわかるので...

やっといてよかったなというよりは、やっとけばよかったって思うことの方が多いです。何をやっとけばよかったって言うと、例えば、私は今

アレルギーに興味あるって言っていますが、アレルギーに関する論文とか研究は出してないし、もちろんアメリカでは大きな口を出すのも大事ですけど、それに見合うような行動をとるのも大事だなと思っています。

あとそうですね同期の間でよく話題になるのは、Netflix とかアメリカのドラマとかですね。結構みんな見ているので、見ていると仲良くなりやすいんじゃないかなと思いますね。あとはプレゼンですね。プレゼンが本当に多いのでプレゼンの練習を英語でやっておくとすごくいいと思います 。

 

 

5、今後の展望

 

 

ー何か将来の展望は、抱かれていますか?

 

これからの展望としては、マウントサイナイ病院はすごくアレルギー分野に強いので、この病院でフェローシップをして研究やアカデミックなところまでやって、日本に持って帰れるようになりたいと思っています。アメリカの生活は、すごく好きなのでアメリカにずっといたいなとも思っているんですけども…。

あと最近、日本のアレルギー学会とかを見てみるとすごいですね。渡米してから気づいたのですが、日本で学べることも本当に沢山あるなと思います。ポジションがあれば、どこかで日本の病院で働くことも考えています。

インタビューワーあとがき

先生の「人生の岐路に立った時は、しっかりと将来のことを考えた上で、自分がワクワクすることを選択している」という言葉が印象的でした。アレルギー分野に対する好奇心が原動力となり、努力されている先生の姿は、とても素敵で、筆者自身の強い憧れとなりました。将来、医師として活躍するにあたり、様々な選択肢に迫られると思いますが、先生のお言葉を思い出したいと思います。
最後に、今回インタビューにご協力してくださった先生に厚く御礼申し上げます。本当に有難うございました。

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