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「挫折を糧に、輝ける場所を見つけた医師としての経験」

三好 康広先生

今回は、アフリカのザンビア共和国で産婦人科医として勤務された後、国境なき医師団として南スーダンやシエラレオネで勤務されてきた三好康広(みよし やすひろ)先生にお話しを伺いました。

高校生の頃から持ち続けた夢に向かって挑戦し続け、挫折を強みに変えて世界で活躍されている三好先生のお話から、医師としてはもちろん人として大切なことを沢山学ばせていただきました。

〜三好先生の経歴〜

 長崎大学医学部在学中に1年間休学し、バックパッカーとしてアジア、アフリカを旅する。卒業後は長崎県の上五島病院、長崎医療センターでの研修を経て、内科レジデント(1年間)、整形外科レジデント(1年間)、産婦人科レジデント(3年間)として勤務をする。計7年の日本での研修後は、日本を飛び出てアフリカ・ザンビアへ向かう。4年間ザンビアの産婦人科医としてジンバ・ミッションホスピタルにて無給で勤務した後は国境なき医師団として南スーダン、シエラレオネ(現職)で産婦人科医として活動をする。

1、夢を追い続けた、高校から初期研修

「三好先生が途上国の医療に興味を持ったきっかけはなんですか?」

 

 最初は本当にシンプルで、高校生の頃に国境なき医師団がノーベル平和賞を取ったことです。「かっこいいな、こんなふうになりたいな。」と思ったのが、海外(途上国)で働くことに興味を持ったきっかけでした。

 医師を志したきっかけは、高校生の時に観た「パッチ・アダムス」の映画(※参照)に影響を受けたからです。

(※「パッチ・アダムス トゥルー ストーリー」という映画で、ユーモアが一番の治療だと考えていたパッチ・アダムス医師の伝記映画。)

 

「その夢を大学入学後も持ち続けていたのですね。進学後、家族や友人は休学をしてアフリカ縦断の旅を応援してくださったとのことですが、もし反対されていたらどうしていたと思いますか?」

 

 周りが反対しても行っていたと思います。今までの人生で人から止められて辞めたこともないし、人から勧められてやったこともないし、全部自分で決めて動いてきたので人が何を言おうが気にせず行っていたように思います。

2、アフリカへの思いを確かにした、日本での研修期間

「無事にアフリカ縦断後は復学・卒業された後の研修期間はどのようなことを意識して進路やキャリア選択をされていましたか?」

 

 アフリカで働く人のための研修コースのようなものは無いため、自分で作り上げないといけませんでした。色々と考えていく中で感じたのは、スペシャリティを持った上である程度幅広い分野を診られないといけないということです。特に、途上国で働く上で大切なものを3つ挙げるとすると、感染症、外傷の治療、産科だと感じています。

 そのため、初期研修後は内科1年、整形外科1年、自分の専門である産婦人科を3年、計7年日本で研修を行いました。このような研修が可能になったのは、幅広い患者さんを診られ、融通の効いた研修を行うことができる離島にある上五島病院を内科、整形外科の研修先として選んだためです。その後、自分の中では計画通りにアフリカのザンビアに飛び出しました。

 

「日本で7年間研修をされていたのですね。だいぶ長い期間ですが、アフリカに行く夢を諦めそうになったことはなかったですか?」

 

 「あった」と言った方が面白いのかもしれないですが、それが無かったです(笑)。7年間日本で働く中で、ここで働くことが自分の肌には合わないことを感じていたので早くアフリカにいきたいという思いがありました。

 それは、訴訟リスクの高さや日本特有のworking environment(上司より早く帰れない、労働者の権利である有給を使うのが躊躇われる等)です。自分が働きたいのはここではないなと思いながら日本で働いていました。

 もちろん、日本で働く中でやりがいは沢山ありました。離島で患者さんとやりとりをしたり、在宅医療に関わって看取りまでさせて頂いたり、難しいお産がうまく行った時など、やりがいのある瞬間はありました。それでも全体的に窮屈な感じがあったことは否めませんでした。

3、生きている、を感じられたアフリカでの経験

「アフリカで働く中で、日本では得られないやりがいはどのようなものがありますか?」

 

 自分が必要とされ、自分が生きている感じがすることです。人に対して貢献ができていると感じることは、私にとって究極的な幸せだと考えています。

 また、産科に関して言えば妊産婦死亡率は日本だと10万人中4〜5人で、これは世界で最も少ない部類です。この数字はずっと変わっていません。対してザンビアは10万人中200人程度で、南スーダンやシエラレオネは1,000人を超えています。

 この数字を見た時、4桁を3桁に変えることは頑張れば可能だと思うんです。しかし、日本の4〜5人をこれ以上減らすというのは不可能に近いものがあると思います。何もしなければ亡くなっていた命を、手術によって救うことができるというのは、医師のエゴかもしれませんが日本よりも多く喜びを得られると感じています。 

↑帝王切開中の三好先生

↑babyをとりあげる三好先生

「アフリカのザンビアで産婦人科医として勤務した後、国境なき医師団に参加されていますがどのようなきっかけがありましたか?」

 

 コロナ禍になったことが大きな理由だったと思います。例えば、TV出演後に常に沢山の学生さんが訪れてくれるようになり、毎日非常に刺激があったのですがそれが一切なくなってしまいました。家族が帰国したことも理由の1つです。もしかしたらコロナが無ければずっとザンビアに居たかもしれません。

 しかし、4年間ザンビアでやってきたことが違う環境で通用するのかみてみたかったという気持ちもありました。ザンビアでは道を歩いていれば皆が声をかけてくれ、町の人と信頼関係を築くことができました。これが外ではどうなのか。挑戦してみたいなと思いました。

↑手術室にて。三好先生と同僚の方々。

「実際、ザンビアでの経験は活きていましたか?」

 

 国境なき医師団の南スーダンやシエラレオネでの活動を通して、ザンビアでの経験はサブサハラアフリカで十分通用するなと実感することができました。技術はもちろん、町の人からの信頼も得ることができました。

 しかし、実は日本でのキャリアをこのまま終わらせて良いのか気になる気持ちがあったためザンビアで2年間勤務した後に1年だけ日本に帰ってきているんです。しかし、日本の病院ではアフリカでやってきたことが全くと言って良いほど活かせませんでした。日本とアフリカでは求められる医療が異なるため、まるで2〜3年のブランクを経て病院に戻ってきたような感覚でした。後輩達にも抜かれていき、余計に日本で働く息苦しさを感じてしまいました。

 しかし、この経験があったからこそ、医師として働くための自分に合った環境というのを再確認することができたように思います。人には合う合わない、得意不得意というものがあるので、不得意なこと、やりたく無いことをいくらやっても日本の環境では自分は輝けないのかなと思いました。

 ↑住民教育(左)や講義(右)を行う三好先生

4、更なる活躍の場を求め、歩みを止めない姿勢

「今後のキャリアについて何か考えていることはありますか?」

 

  今の所、日本でのキャリアは考えておらず、今参加している国境なき医師団が終わったらザンビアの病院に戻ることも選択肢の一つとして考えています。実は、今まで行ったアフリカの国々は英語圏だけなのです。フランス語ができれば、中央アフリカやコンゴ共和国、ハイチなど産婦人科医としての選択肢を増やせると考え、現在はフランス語を勉強しています。フランス語圏なども含めて自分の能力が活かせる、今までとは異なる文化圏でも働いてみたいと思っています。

↑病棟回診をする三好先生

5、私たち学生が、今できること

「アフリカで医師として働くために必要だと思うこと、学生が若いうちにしておいた方が良いと思うことは何かありますか?」

 

 どういう形でアフリカの医療に携わるかにもよるため、汎用性があるものはないかもしれません。しかし、敢えて挙げるとすれば語学力以前にコミュニケーション能力だと思っています。語学が苦手でも身振り手振りで現地の方としっかりコミュニケーションをとる方もいれば、語学が堪能でも信頼関係を築けずに帰ってきてしまう方もいます。忍耐力やストレスマネジメント力も必要かもしれません。

 若いうちにしておいた方が良いこととしては、選択肢を知って、それを経験することだと思います。不得意なことはいくら努力しても実らないこともあると思っています。必ずしもやりたいと思うことが得意とも限らず、その逆も然りです。しかし、1回飛び込んでみないとそれが自分に合っているか、得意か不得意かわかりません。いろいろな環境に飛び込んでみて、その環境に自分が合うのか否かを知る経験をしておくと良いと思います。

 20〜30代前半は、努力すればスーパードクターになれそうな気がしてしまうんです。でも実際はそんなことは無く、自分の能力の限界を認識することもとても大切だと思っています。これは、つまずかないと分からないことで、私自身も日本に帰国して1年働いてみて挫折した経験から自分に合った環境を知ることができました。失敗も含め、色々と経験することはとても大切だと思います。

 また、日本は「頑張る」ということが大好きで、何でも「頑張ります!」と言ってしまいがちです。しかし、適度に諦めることも大切であって、私自身も色々な選択肢を諦める中で自分の強みを活かせる場所で医師として働いているので、今はアフリカで「頑張っている」という認識はありません。20〜30代前半の若いうちにそういった環境を見つけるために動くことが必要だと思います。

〜編集後記〜

↑三好先生(左上)とインタビュアーの轟木(右上)、富田(下)

 医学部合格前からインターネット上でずっと見ていた三好先生に直接お話を伺うことができ、とても貴重な機会になりました。プライベートなお話なども聞かせていただき本当に楽しく、あっという間のインタビュー時間でした。

 話をしている中で「ぜひ私の職場に見学に来てください、と言えないのがとても心苦しいですが。」と何度か仰ってくださる三好先生は、私たち学生にとって大切だと述べていた「経験」をご自身の築かれた立場を活かして提供しようとしてくださっているのだと感じました。

 また、インタビュアーに対しても「今はどんなキャリアを考えているの?」などとフランクに質問を投げ返してくださり、このような三好先生の人柄、親しみやすさがアフリカの人々から信頼を得られる根底にあるのだと強く感じました。

(文責:ACP学生委員会・富田明澄)

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