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「世界に飛び立て!色んなものに挑戦しよう!」
​                      國井 修先生

今回は、国立国際医療研究センター、東京大学大学院専任講師、外務省、長崎大学教授、国連児童基金(ユニセフ)、グローバルファンド戦略・投資・効果局長を経て、現在は公益財団法人グローバルヘルス技術振興基金(GHIT Fund)のCEOとしてご活躍されている國井修先生にインタビューさせていただきました。学生時代の様々な活動やグローバルヘルス分野で従事されてきたこと、公衆衛生分野でのキャリア形成など、多岐にわたるお話を伺うことができました。

1、​これまでの経歴

〜先生のキャリアを振り返って思い入れのあることを教えてください。〜

私は学生時代から発展途上国で働きたいと思っており、特にアフリカで医師として患者の診療をしたいと思っていました。学生のときには、アジア医学生会議に参加したり、インド留学やアフリカでのボランティアなど30カ国くらい行ったんじゃないかと思います。ところが、学生時代に難民キャンプで実際に患者さんの診療をしながら、医者としてアフリカで働いても助けられる命は限られていると思いました。医療以前の問題がたくさんあったからです。同志とともにAMDA(アジア医師連絡協議会)という民間の国際医療援助団体を作って緊急援助などもしましたが、それだけでは物足りず、また限界も感じて、もっと多くの人を救うにはどうしたらいいかを考えながら人生を歩んできたら、いつの間にか色々な組織を渡り歩くことになりました。私は現場が好きなので、そこに執着しながらも、現場で多くの人を救うためには必ずしも現場にばかりいる必要もないと感じるようになりました。例えばNGOで働いて限界を感じたので、もっと大きな仕事をしてみたいと思って、ODAの保健医療プロジェクトを多く行っている国立国際医療研究センターで働くようになりました。でも、そこを通じて緊急援助や地域医療、病院づくりなど色々なことを経験したけれども、走りっぱなしで、自分がやってきたことが正しいのか、現場にどれほどのインパクトを与えたのかもよくわからなかったので、5年経って東京大学大学院の国際地域保健の教授からの誘いを受けて教員になりました。その後、2000年にG8九州沖縄サミットが行われて、世界のエイズ、結核、マラリアなどの感染症問題が議題に取り上げられました。新型コロナもさることながら、そのときのエイズ問題も世界を揺り動かすほどの大問題だったんですよね。当時はそれで年間300万人ほども亡くなっていて、アフリカでは人口の半数近くが感染している地域もありました。致死率は当時100%といわれていたので、新型コロナよりも遥かに恐ろしい病気でもありました。これに対して、日本も含むG8の国々が資金を拠出して世界が一致団結する必要性が叫ばれて、日本も独自に5年間で30億ドルを拠出するとした沖縄感染症対策イニシアティブを発表しました。そこで外務省に専門家が必要ということで、私に打診がありました。現場好きの自分が霞ヶ関で働くことは想像できなかったのですが、政策や戦略作りによって日本の保健医療ODAを改善すれば、より多くの人が助けられるかもしれないと思い引き受けることにしました。その後、長崎大学熱帯医学研究所に呼ばれて1年ちょっと、国際的な研究ネットワーク作りやスマトラ沖地震、インド洋津波の感染症研究プロジェクト統括などをしてから、もっと大きな仕事をしたいと思い、国連機関、ユニセフの本部で戦略作り、ミャンマーやソマリアの現場で実践をしました。その後、スイス・ジュネーブに事務局がある世界エイズ・結核・マラリア対策基金、通称グローバルファンドというところで、戦略・投資・効果局長として働きました。グローバルファンドはグローバルヘルス分野で世界最大の資金拠出をしている組織ですが、より多くの人を救うにはどうすべきかを追求しながらどんどん新たなことをトライするところなので、あっという間に9年が経ったという感じですね。

人生の中で色々な経験をしてきましたが、自分の中で大切にしたのは現場の人たちで、現場をよくするには、ひとりでも多くの人の命を救い、健康を改善するにはどうしたらいいか、という視点です。現場を知れば知るほど、最も保健医療を必要とする人々のところになかなかサービスが行き届かない。どうしたらもっとそこに届くようになるのだろうと考えているうちに、自ら様々な組織に移っていったという感じですね。

よくキャリアの8割は偶然だなんて言われるんですよ。研究などでも明らかにされていて、Planned Happenstance(計画的偶発性理論)なんて呼ぶんですね。僻地の診療所で働いていた30歳ごろに、将来国際協力をやりたい有志を集めてみんなで人生80年の計画を立てました。自分として、80年の計画の中で実際に叶ったのはアフリカで働くこと、アメリカに公衆衛生を学びに留学することの2つだけです。実際に自分が歩んだキャリア、例えば大学教授として教えること、霞ヶ関やニューヨーク、ジュネーブで働くことは考えてもいませんでした。でも、実際にそれらをやってみて、自分が作った人生計画より面白く充実したものとなりました。例えば、外務省でグローバルヘルスのためにどれだけ外交やお金の流れが重要か分かったし、大学に行くことによってしっかり自分の頭で整理したり分析したりすることができるようになったし、若者の人材育成はとても重要で自分にも向いていると思いました。ニューヨーク、ジュネーブという世界のグローバルヘルス政策や戦略の中心地で実力を磨いたり試したりできたし、国立国際医療研究センターでも色々な修行や勉強ができました。人生のさまざまなフェーズで自分が必要としていた技術や知識を学び、良い鍛錬・訓練ができたかなと思います。

↑バングラデシュ竜巻災害時に緊急援助隊医療チームに参加

2、​様々な経験を通して、将来の基礎を築いた学生時代

〜大学在学中から海外での活動、ボランティアをされていたとのことですが、
どのようなタイミング・きっかけで海外に目を向けるようになったのでしょうか?〜

大学の学生寮でマレーシアで開催される「アジア医学生会議」の参加者募集をみて、渡航費が出るので応募しました。海外でいろんなことを見て経験したいという思いが強かったのですが、貧乏学生だったのでバイトして貯金をしていました。学生時代はテニスやジャズバンド、僻地医療実習などいろんなこともしていましたが、海外には初めはどういう風に行ったら良いか全然分からなかったんですよ。栃木県の田舎で生まれ育って、高校までずっと公立で自治医大に入って、本当に世界の世の字も分かりませんでした。そんなときにアジアで医学生の会議がある、旅費も出る、というのを見たんですね。行くなら会議だけでなく、色々見てこようと思ってローカル電車でタイからマレーシアまで行きました。その後もアジアの様々な国にバックパッカーのような感じで旅行したり、自分の中でテーマを決めて病院や診療所を見たり、難民キャンプを訪ねたり、スラム街で調査をしたりしました。最終的にアジア医学生連絡協議会(AMSA)のアジア全体の代表にもなったので、国際会議やフィールドワークやフィールドスタディ、短期交換留学などの企画運営もやりました。当時、アフリカの飢餓などもあったので募金活動をしたり、有志でフィリピンに診療所を作ったりなどの活動もAMSAとしてやりましたね。でも、夏休みなどにでは足りないし、このまま6年間で卒業してしまうのももったいないと思ったので、1年間休学をして、インドの伝統医学(アーユルヴェーダ)を勉強しながら、アフリカにも行ってソマリア難民救援活動に参加させてもらいました。学生時代は、お金も知識も技術も何もないけれども、逆に豊かな感性を使って真っ白なキャンバスに絵を描いていくようなもので、すごく貴重なものです。またそこでいろんな学生と出会い、AMSAのような組織でリーダーシップを磨くこともできました。学生時代は本当に満喫して、いろんな勉強をしたなぁと思います。今の自分の基礎は学生時代が作ったとも言えますね。

↑医学生時代にインド留学

〜学生時代の活動で特に印象に残っていることや活動を通して得られた学びを教えてください。〜

タイのスラム街の中に入って衛生学の調査をしました。スラムに住む人々の満足度の調査や子供の糞便中の寄生虫検査などをしましたが、そこですごく貧しい生活をしているのに、人々は8割が満足している、幸せだって言うんですよね。何が違うかと言うと、貧しいけれども田舎から都会に出てきてこれから頑張るぞという、上昇気流の中にあったんですよね。確かに貧しいより豊かな方が良いけれども、貧しくても家族がいて地域があって夢があるというのはこんな風に違うんだなぁと思いましたね。アフリカでソマリア難民が流出したときにNGOの支援活動に参加させてもらったのですが、さまざまな病気で多くの子供たちが命を落とすけれども、薬が不足して安全な水や衛生、十分な食料・栄養がないというところでは医療は無力、公衆衛生や予防を学んで実践しないといけないと強く感じ、そこから公衆衛生の道に入りました。これも学生時代の経験によるものです。

↑ソマリア難民キャンプにて学生時代にボランティアで医療補助

3、​色々なことに挑戦してみよう!

〜人生の道を選択するときに大事にされていることを教えてください。〜

人によって色々な価値観があると思います。どんなことが好きか嫌いか、どんなことが得意か不得意か、人生に何を求めていくのか。人によって大きくちがいますね。地位や名誉、給料など追い求めるものが人によって色々あると思います。自分は人生の岐路に立った時、特に若い時はどちらが自分を成長させるのか、と考えました。茨の道でも、そこで自分を鍛えられるならそちらを選び、ある程度の実力がついてからは、1人でも多くの命を助けられる仕事、チャレンジングでもより大きなインパクトを世界にもたらせる仕事をしたいと考えました。好きかどうかは、初めは分からないもんだと思います。特に大学で教員になることは好きかどうか分からなかったんです。でも行ったら勉強になったし、学生の面倒をみるのも好きだった。その後、外務省から声がかかったときにはすごく悩みました。自分はどちらかというとNGOで現場の人間なのに霞ヶ関で働く、しかも当時外務省は週刊誌から叩かれていたので、行くのに躊躇はありましたが、そこに行ったら自分の知らない世界(政策や外交など)があり、学べるものも多いのではと考えて思い切って行きました。長崎大学は若い時に3ヶ月の熱帯医学研修を受けたということもあり、依頼を受けて断れない事情がありました。熱帯医学をもっと深めたい、若い人材を育てたい気持ちも強くありました。ODAに限界を感じたので国際機関に関心を持ち、WHOよりも現場に強いユニセフに行きました。それは正解で、特に本部よりも現場、それも政府が機能しない、内戦や災害が頻発するミャンマーやソマリアで働けたのは貴重な経験でした。自分の成長や自信にもつながりました。みなさんにも大いにチャレンジをして欲しい、それが自分の実力、人生の豊かさにもつながることを伝えたいと思います。

〜人によってやりたいことは違いという話がありましたが、
やりたいことを見つけるためのアドバイスがありましたらお願いします。〜

今やっていることに集中するということが結構大切なんですよね。例えば栃木県の病院で働いていた若い頃、栃木インターナショナルライフラインというNGOを立ち上げて、在日外国人の無料医療相談や医療支援をしていたことがあります。言葉が通じない、お金がない、精神的に病んでいるといった外国人労働者が多くて、医療機関を受診する上で多くの問題がありました。海外に行かなくても国際協力をすることができるんだ、今の仕事をしていても世界に通じることがあると感じました。

学生にはやっぱり現場に行って欲しいです。そこで見えることがたくさんありますから。頭で考えても難しい、見えない、前に進まないことが多い。何をやりたいか頭で考えるより、まずは行動してみること。やってみないと自分に合うか、好きになれるかわからない。何よりもまず行動することが大切かなと思います。学生時代にやれる行動はたくさんあります。なかなか実行できなくても、少なくとも様々な人の話を聞いたり本を読んだりというのはできますよね。「本と人と旅」、この3つはとても重要で、これらを通じて見えてくるものがたくさんある。

スティーブ・ジョブズ(アップルの創業者)もビル・ゲイツも初めにやりたいことと後にやりたいことが変わりました。スティーブ・ジョブズは、初めはカリグラフィーやアートが好きで色々やっているうちにアップルのような製品というより作品を作るようになりましたし、ビル・ゲイツはコンピュータオタクだったけど、最終的にはビジネスマン、そしてアフリカに行って慈善財団を作ってグローバルヘルスをはじめとする社会課題解決のイノベーターになりました。1つのことに集中して一生を過ごす人もいますが、何かをやっているうちに趣味や好きなものが変わっていく人もいます。だから、まずはやってみて、好きなものを探していくっていうのがいいんじゃないでしょうか。初めからやりたいことが明確にわかっている学生も少ないと思うので、まずいろんなものに挑戦してみるという姿勢が大事ですね。

〜人生の中でどのようなことにプライオリティを置き、大切にされていますか?(家族、仕事、私生活など)〜

若いうちはアフリカで医師として働きたいと思っていたので、それについていける人じゃないと結婚はしたくない、一生独身でもいいと思っていました。たまたま似たような価値観を持っている人と出会って結婚しました。私よりも強靭な精神力と体力をもっていたので、どこへでもついてきてくれましたね。結婚してから20回以上引っ越していますし、子供たちもブラジル、アメリカ、ミャンマー、ケニア、スイスなどに一緒に住みました。安全でない場所もあったし、多くの困難もありましたが、それ以上に家族で得るものも多かったと思います。おかげで子供は3人とも、どこでも生きられるサバイバル能力、特にコミュ力や忍耐力は私からみてもすごいと思います。可愛い子には旅させよ、艱難汝を玉にすといいますが、まさにその通りだと思います。

ただし、仕事と家族のバランスは簡単ではないですね。僕自身はワーカホリックで仕事を優先してしまうので、家族の犠牲はとてもあったと思います。色々やっている人というのはその辺のバランスを必死に取りながらやっているところがありますよね。ただ、家族の時間とはちゃんと取って、コミュニケーションをしっかりとることは重要だと思います。

↑ブラジル・アマゾン川流域の原住民の健康調査に行く船上

〜先生は色々な国際機関で従事されてきたと思うのですが、それぞれ外務省、ユニセフ、グローバルファンドの国際協力ではどのような違いがありましたか?〜

仕事は一言でグローバルヘルス、国際協力と言ってもかなり違っていました。例えば、ユニセフのニューヨーク本部では戦略を作ります。世界全体でユニセフのさまざまな活動がありますが、その戦略を立てたり、資金を集めてそれをどのように振り分けていくかを考えます。ユニセフのミャンマー事務所やソマリア事務所は、それぞれの国の健康問題を分析して、例えば300万人分のワクチンを購入して、現場まで届けて接種したり、国の母子保健戦略作りを支援してその実施を支援したりしていました。外務省では保健外交といって、さまざまな国際会議で日本としての考え方を述べたり、日本の保健援助政策や戦略を作ったり、日米連携を促進したり。グローバルファンドは自分のポートフォリオが大きかったので、5つの部局で200人以上のスタッフを統括して、それぞれの目的、例えば戦略情報部であれば、世界中から集めた戦略情報のデータを分析して、最終的にその方向が良いかどうか、コミュニティー人権ジェンダー部であれば、世界で虐げられた、差別を受けている、人権が無視されている人々の問題をどう解決していくのかを検討して計画して実施するといったことをやっていました。現職のGHIT(ジーヒット)ファンドというのは研究開発支援ですが、低中所得国で蔓延る感染症対策に必要な診断・治療・ワクチンの研究開発に民間企業が投資しないので、ゲイツ財団やウェルカム財団、日本政府や製薬企業などから寄付をいただいて、それを大学や企業などの研究機関に投資して研究開発を促進するということをしています。

グローバルヘルスといっても組織によって活動内容は異なります。でもすべて自分としてはやりがいがありました。

4、多様な国際協力への関わり方

〜今まで色々な国際協力に従事されてきて、大変だったことはどんなことでしたか?〜

自分の努力でやれることはいいのですが、力が及ばないこともたくさんあって、例えば政治的な衝突、内戦、紛争、自然災害などです。特にミャンマーやソマリアはそれらのオンパレードでした。次から次へと問題が襲ってきました。計画していた活動だけでも大変なのに緊急に対処すべきものが毎日のようにやってきましたね。そのため資金調達を続けながら、現場でのパートナー探しもしていました。ユニセフだけではリソースが足りないから、現地の赤十字などのNGOと協力していきました。そのようなパートナーシップがとても重要でしたね。私はそのようなネットワークやパートナーシップを作るのは得意だったのですが、資金集めは苦手でした。広報活動もあまり好きではありません。それらが得意な専門家がいるので、彼らの助けを借りながらやっていました。あとは現場では国籍も文化も風習も異なる人達をまとめて1つの方向を向かせるというのも結構大変でした。人のマネジメント、引っ張っていくリーダーシップ。これは日本式では全くうまく行かないので、グローバルなマネジメント、リーダーシップを学びながら試行錯誤していきました。

↑ソマリアの首都モガディシュで装甲車にて移動

5、世界を舞台にして活躍するために

〜異文化で自分とは異なるバックグラウンドの人たちと働く中で、心がけていることはありますか?〜

まずはコミュニケーションですね。とにかく色々な人と喋って話を聞いて、話を聞くのも積極的な傾聴、アクティブリスニング。ほんとに何を相手が伝えたいのか、どこが自分と考えや意見が違うのか、ただ聞いていてYesばかり言っていてはダメなんです。自分の意見をきちんと言えるか、説得できるか。

学生さんには、まずはできるだけ多くの異文化の人と交流して話をして、まずはある程度何を言っているか理解して自分でも話してみる。まずこれがはじめの1歩。とにかくわからなくても喋る。その次は、それを使いながら、自分の意見を通していく、理解してもらおうとする。自分の意見をロジックやストーリーなどを交えて話せるようになると、「あの人の意見はなかなか鋭い」と思わせるところまで行ける。第3段階では、色々な違った人の意見を聞いて整理したりまとめたり妥協させたりして、調整役やリーダー役を務める。ここまでいけると世界でもいいマネージャーやリーダーになれます。

〜先生は現場で働かれたご経験と組織で働かれた経験を両方お持ちだと思うのですが、
現場の声が上に伝わらないもどかしさもご経験されましたか?〜

ニューヨークやジュネーブには現場を知らない人も多くて、現場とはかけ離れた議論を強いられることがあるんです。そういう時はすごくもどかしいのですが、逆に現場を知っている人がきちんと話すと貴重な声として聞いてもくれます。

ただし、現場の声というのもいろいろあって一つじゃないんです。どんな声をどんな形で取り入れて、どんな形の政策を作るかというのは、また別の次元のスキルがあります。現場の声を大切にするけれども、それは本当に現場のニーズなのか、現場にとって妥当性があることなのか、その辺は見極める必要があります。

〜現場の声を正しく抽出するためには、先ほどおっしゃったようなスキルというものが不可欠になりますか?〜

現場に行かないで現場のことは語れないので、まずは現場を知ることです。ただし、それを適切に知るためにはどういう方法が必要なのか、データや情報の信頼性や妥当性を上げるにはどうすべきか、それをどのように分析してどのように解釈すべきか、さらにそれをいかに政策や戦略に反映させるか、解決のために資金をどのように割り当てて介入や活動をしていくのか。そういった一連の流れを知っておいたほうがいいです。その一連の流れの中で、NGOであれば、ある地域のある人口集団に対するサービスを効果的に実施するための知識やスキルが必要で、国全体を見るときにはまた違う技術、政策や戦略作り、またそのモニタリング評価などの知識や経験が必要です。また自分が直接やるのではなく、現地にあるリソースをどのように活用していくか、足りない技術をどのように埋めるかといった知識・経験も大切。多くの国や地域を対象にするなら、その中で資金や人材をどのように配分・配置し、どのように効率的・効果的に事業を動かしていくか、という経験と能力が必要となります。だから、現場は重要ですが、そこから少し離れてさまざまな知識・スキルを学ぶのも重要でしょう。

6、未来の国際協力に向けて

〜今後の国際協力の課題や目指すべきビジョンはどのようなものだと思いますか?〜

世界は目まぐるしく動いていて、感染症から非感染症、自然災害から紛争、地球温暖化から環境問題までさまざまなグローバルヘルスの課題が横たわっています。これらを解決するにはさまざまな分野や専門性が必要ですので、若い人たちにはどんどんそこに加わってきて欲しいです。それらを繋ぐ調整役やリード役も必要です。国際協力といってもただ意見交換や交流していても問題解決にはつながりません。いかに戦略的な協力体制を作るか、パートナーシップにも効率と効果が求められます。共通のビジョンや目的をもって、それぞれの役割と責任を果たす。そのような強固なパートナーシップが必要です。

〜最後に将来国際保健や公衆衛生分野で活躍したい方へのアドバイスやメッセージをお願いします。〜

とにかく若いパワーが必要なので、まずは興味や関心をぜひ持って頂き、できるだけいい本をたくさん読んで、その分野に従事している人の声を聞いて、現場に足を向けていってください。学生時代は関心があったけれど、卒業してから足をすくめてしまう人もいますが、また後になってから国際協力をやってみたいという人もいます。それからでも遅くはないし、グローバルヘルスにはさまざまな道がありますので、どこからでも入って活動してその醍醐味を味わってほしいなと思います。そのために「世界に飛びたて!命を救おう! グローバルヘルスを志す人 リーダーを目指す人のために」(南山堂)を上梓しましたので、ぜひ読んでみてください。みなさんの活躍を期待しています。

編集後記

学生時代から様々な活動に精力的に従事され、色々な経験をされていたのが印象的で、先生の人生選択は、今までされてきた本当に多くの経験をもとになされたものだということを感じました。一番勉強になる道を選択するということは個人的にとても共感でき、自分もこれから様々なことを経験していく中で、それは大切にしたいと思いました。また、国際協力の内容についても伺うことができ、公衆衛生分野での多様なキャリアについても知ることができました。國井先生、インタビューにご協力いただき誠にありがとうございました。

 

名古屋市立大学医学部 劉澤成

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